塾での自己採点をやらない3つの理由

斬る

埼玉県の公立高校入試が終わりました。

いきなり本題ですが、私の塾では自己採点会なるものをやりません。

おそらくですね、これは結構異例なのかなと。

どの塾でも大体やると思うんです、自己採点。

実は私も以前はやってたんですね。

ただですね、この数年はちょっと思うところがあって自己採点会なるものは一切やってません。

一応ですね、「自己採点は各自必ずしなさいね。」とは伝えています。

でも、それを塾に報告しなさいとは言いません。

自分自身の入試の区切りとして自己採点をやっておきなさい、程度。

その辺りの理由をちょっと書いておきます。

①高等部がなければ、すでにお客様ではないという事実

私の塾には高等部がないんです。

ま、これが一番大きな理由かもしれません。

要は、公立高校入試前日で、すべての中学3年生の授業が終わるんですね。

つまりですね、入試当日はすでにお客様ではないんですね。

その分の月謝はもらってない。

だから、受験生に自己採点を強制させる権利がわれわれにない。

受験生もわざわざ塾に来て自己採点をして、それをわれわれに報告する義務がない。

こういうこと言うと、「すげードライですね…。」とか言われるんですけど、ドライっていうか、私としては商売としての当たり前のケジメだと考えているんです。

なので、合否発表の報告でさえ、ホント、善意でお願いしている感覚なんです。ま、毎年全員報告してもらえるんで、有難いんですが…。

われわれの仕事って学校の先生とは違う。契約結んで、指導して、その対価として金をもらう。もちろんね、人間同士の気持ちのつながりとか信じる部分もたくさんあります。でもね、原則はそうじゃない。

感情とか義理とか、そういうものが契約書を上回ることなんて原則ない。それが商売だと。

で、ここからが大事になるわけですけど、受験生はすでにお客様じゃない。

じゃ、われわれが向き合わなきゃいけないのは、今いるお客様って話になるわけです。

でね、大体、私の地域の中学校だと公立高校入試当日って、中1、中2生の三学期学年末テストの直前(前日)だったりするわけです。

ダメなヒトダメなヒト

いやいやいや、一日くらい今まで頑張ってきた受験生と自己採点しながら慰労の意味も込めた話とかすればいいじゃないの。

あり得ない。慰労の念はありますけど、それを形にすることが大事だと思うなら、先日全否定の記事を書いた卒業旅行やってるって話。

すでにお客様ではなくなった受験生への慰労の念とか、今までの思い出話とか、自分の一年のしめくくりの感情の吐露的な時間?そういうものが目の前の実際に契約しているお客様へのサービスを上回ることなんてあり得ないんです。

お客様へのサービスに全力投入、それを考えたときに自己採点会なるものは、Mr.M塾からは消えたんですね。

こうやって書くと、私が今まで長い期間一緒に勉強してきた受験生への思いとか、そういうのが一切ないような機械人間的な誤解を与えるかもしれません。いやいや、そこはですね、本当は自己採点やりたいですよ!当然。気になりまくりじゃないですか、どのくらいの点数とったのか。

許されることなら、数年前までと同様、自己採点会を強制させたいんですよ。でもね、私の今の仕事の根本原則からすると、許されない。スタッフに中1、中2生を任せてやればいい?いやいやいや、その塾のスーパーエースが今のお客様の一分一秒を大切にしないってあり得ない。

じゃあ、中1、中2の学年末テストがなければ自己採点会やるのか?それでもやらんです。だったら、その日は休日にしてスタッフに休んでもらいます。

ダメなヒトダメなヒト

キミ、一人が出勤してやればいいじゃない?

それでもやりません。やりたいですけど…。そうやって自分勝手に「俺の休日潰すんだから、文句ないでしょ?」的な行動を私が取ってたら、職場全体のケジメ、なくなっちゃいますから。

能力限られた経営センスない私程度の人間は、ホント、契約している、お金をもらってる、目の前のお客様に徹底的に尽くすこと。この大原則を守り続けないといけないと。受験生の自己採点会は、ホント悲しいですけど、その大原則から外れてしまうんです。

②得点開示が進んだ埼玉県において記録的意味合いが弱い

実は以前の自己採点って情報収集の意味合いも強かったんですよね。

どの高校にどのくらいの点数で受かったか、っていう。

でもね、得点開示を中学校で教えてもらえるようになった今、自己採点で曖昧な結果を集めるメリットが非常に弱くなった。

自己採点って正直、生徒によって天国と地獄レベルで変わるじゃないですか。

得点開示の結果を報告してもらえれば、自己採点で集めるデータって記録的な意味合いで言えば要らないんですよね。

で、今は教材会社が色んな塾の受験生のデータ集めて冊子にしてくれますし。

③自己採点で解決するものがほとんどない

自己採点するじゃないですか。

で、良い結果だったとするじゃないですか。

不安なんですよ、それでも。きっちり合格発表出るまでは、結局何も分からない。

不安な気持ちは消えないんです。

悪い結果だったとするじゃないですか。

それでも希望は持つんですよ。万が一、合格する可能性もあるかも…。って。

「絶対無理、絶対落ちる。」なんて言葉では言いながら、心の中では合格発表でるまで希望は持ち続けるんです。

とにかく気持ちの面での決着って、自己採点をいくらしたって合格発表まで無理。やっぱ、自己採点がどうあれ、合格発表までは浮ついた気持ちで過ごさねばならない。もうそれは受験生の宿命なんです。

だからね、自己採点したって何も解決しない。

ああ、自分の入試本番ってこうだったんだ、っていう確認。もうね、ホント、「あぁ、これで高校入試が終わったんだ。」っていう区切り。ケジメ。その程度。

だとすると、繰り返しになりますけど、私は貴重な塾の資源(時間、金、スタッフの労力)をそれにつぎ込む選択はしない。1日たりとも、数時間たりとも、零細個人塾にその余裕はない。

名残惜しくても次に進まなければ後がない。

勝つ

ま、何かカッコつけて理由1,2,3とか書いてきましたけど、結局ね、自己採点会って私自身の名残惜しさのために、自分の安心のためにやってんだなって、数年前に気づいたんです。

得点開示ではっきりした記録は取れる。教材会社もデータをくれる。

でもって、自己採点やったところで生徒たちの不安は消えない。どころか、自己採点会で塾に来る時間には、すでに自分で採点を終えている生徒が結構いる。

じゃ、なんで自己採点会を相も変わらず、毎年の決まりのようにやってるのか。

やっぱり、自分が名残惜しいんです。どの生徒がおそらく受かったか、どの生徒がおそらく落ちたか、そういうことを自分自身が早く知りたいだけなんです。

生徒に「頑張ったな。」と言って、何か感動の別れを1人1人したいみたいな…。おそらく落ちたであろう生徒を早めに知っておいて、合格発表当日に自分のショックを少しでも和らげたい的な…。

気づいたときに、「あぁ自分はずいぶんと仕事を私物化してんな。」って。そんなんだから、生徒数もなかなか伸びねぇ~んだって。で、いつまで経っても雑務が終わんねぇんだって。生徒の成績だって半端なんだって。

ま、もちろん、自己採点会の3時間程度が自分の仕事の足を全てひっぱってるわけじゃないですよ?でもね、「ま、一年間、生徒も自分も頑張ってきたんだから、最後くらいこういう時間があってもいいかな。」なんていう意識の甘さ、ケジメのなさが、自分の仕事をしょぼいものにしているってのは間違いないって。

名残惜しいのは山々なんです。でもね、その名残惜しさに自分勝手に時間を使ってる余裕は自分にはないと。そんな感じの入試当日を終えたMr.Mでありました…。