遠いところありがとうございました!

接客力

直接対談第4弾を本日実施いたしました!

今回は初の女性。

なんと千葉県からはるばる埼玉まで来ていただきました。

Mr.MMr.M

申し訳ございません…。

いつの間にやら、月に一回くらいのペースで有難くもこうしてお話させていただく機会があり…。

正直、

Mr.MMr.M

俺なんかでいいの?

って毎回思っちゃうんですけど。

毎回、色々な話をたくさん聞けて、たぶんですね、私が一番得をしている。

「相談したい!」って連絡いただいて、いざお会いして私がすることと言えば、

「へぇ~」「なるほどぉ~」とか面白い話聞かせていただいてるだけなんですね…。

何か毎回、申し訳ないんですが…。

しかも、今回のDさんには頂き物までしてしまって…。ホント、恐縮です!

皆さん、私なんかでよければ、可能な限りお会いさせていただきますので、どうぞお気を使わないように。大したこと言えないんですから…。

色々事情がありますんで、詳しい内容は控えさせていただきます…。

今回のDさんのお話については、色々ありますので、詳しい内容は控えさせていただきます。

千葉県の女性個人塾長ということ。

私よりも全然集客とか、営業に関してのセンスや能力をお持ちだということ。

アバウトな数字で言えば、開業一年で私の5,6倍は生徒数を集めていらっしゃいます。

そんな方にそもそも私程度の人間が、何か言える立場じゃないんですけどね…。

適度にバカで適度に鈍感が幸せだと実感。

ハローワーク

そんなDさんの話を伺って、二つだけ自分の方が上回っているなって感じたこと。

それは自分の方がバカで鈍感だという点。

ダメなヒトダメなヒト

それは、下回っていると言う…。

いや、Dさんの話を聞けば聞くほど、私はこの2点は自分自身の学習塾経営に滅茶苦茶メリットを及ぼしていると実感しました。

Dさん、すごいんですよ。生徒一人一人、一つ一つの課題に対してホント真摯に頭悩ませてる。

で、その一つ一つに対処しようと努力してる。

商品の案内を細かくしたり、一つ一つの問題に保護者に対するお便り書いたり。

これね、私じゃ無理です、絶対に。こんな一つ一つにアンテナが反応して、応えようとしていたら、頭はオーバーヒート。身体はゾンビ化です。私の能力じゃ、一日36時間あっても手が回らない。

Dさんが色々生徒の問題点なんか教えてくれたんですけど、私だったらその問題点の10分の1もアンテナに引っかからない。つまり、私は鈍感なんです。

で、バカなもんだから、ちょっと複雑な問題になると「そんなのたかが塾講師に解決できるわけねぇ!」って見切りつけちゃう。

Dさんにも「それで保護者からのクレームとか出ないですか?」って言われましたけど、もうね、能力ないバカなんで「そんなことまで応えられるわけない。他の塾行ってくれ。」ってなっちゃうんですね。

適度にバカで、適度に鈍感だからこそ、そんな自分に合わせるように商品絞って、お客様絞って、仕事を絞って、今の塾の形になってるような気がします。で、結果的にお客様に支持されるものだけに集中特化して塾を育て上げられたんだと。

ま、余計なことを考えたくないんですね。余計なことが増えすぎるとオーバースペック起こすんで…。

自分を大事にすること、そして自分の能力不足から逆算すること

集団指導は少ない

Dさんの話を聞いていて改めて思うこと。

やっぱり、仕事って自分自身を一番大事に考えないといけない。

Dさん、滅茶苦茶お客様に奉仕してるんです。お客様に何かしてあげたい!この気持ちが私の5倍は大きい。で、ホントね、信じられないくらいサービスしてる。でね、明らかに身を削ってると思うんです。自分自身、大きな犠牲を払ってる。

もちろん、起業したからには自己犠牲は必要です。とくに開業当初は、多少の無理、泥をすするような自己犠牲、必要だと思います。でもね、それが精神を明らかに蝕んだり、過度な悩みを抱えて希望を持つエネルギーをなくしていくような犠牲は払うべきじゃないと。

何のための独立、何のための仕事かって考えたら、やっぱり第一に自分のためじゃないですか。自分の幸せのためじゃないですか。たしかにそこに辿りつくために犠牲を払うことはあります。苦しむこともあります。ただ、根本的に、永久にその幸せにたどり着かないような犠牲は払うべきでない。希望の見えない犠牲、過剰サービスはするべきでない。

Dさんにも言っちゃたんですけど、究極、目の前のお客様にいくら奉仕しても、そのお客様が自分を幸せにしてくれるわけじゃない。自分の人生の責任をとってくれるわけじゃない。自分は自分の幸せを追い求める範囲でしか、お客様に奉仕できないし、奉仕すべきじゃないのかなって。

もちろん、仕事に手を抜くとか、いい加減にやれとか、そういうことを言ってるわけじゃないですよ?

ラーメン屋はラーメンを作るのが仕事なわけです。お客様がいくら望もうが、カレーを作る必要はない。そばを作る必要はない。自分のラーメン屋に客が来て、「今日はカレーが食いたい。」って言って、その要望に応えていたらキリがない。料理をする手間もかかる、在庫もかかえる、精神的負担も大きくなる。

ラーメン屋に来た客が言うわけです。「蕎麦食いたい。」で、それに応える。そしたら、その客が言うんですよ、「やっぱ手打ちが食いたい。」そば粉から練って手打ちそば作れますか?ラーメン屋なんですよ?もうね、言うしかないわけですよ、「それなら蕎麦屋行ってくれ。」って。仮に手打ち蕎麦まで、超人的能力でこなしたとします。でもね、そういう客は今度は言いますよ?「俺は十割そばが食いてぇんだ。」って。

改めて思いました。自分の幸せ第一で考えたら、自分はラーメン一本で勝負するって。カレー食いたい客、蕎麦食いたい客は相手にしない。その代わり、ラーメンだけは他に負けない。この地域でラーメン食うんだったらこの店。そう言われる店を作りたい。じゃないと身が持たない。じゃないと夢が描けない。

お客様は神様です。でもね、神様は選ばないとダメです。神様だって私の幸せを、人生をダメにする権利はないはず。

自分の幸せを最優先にすることと、同時に自分の能力不足を認める大切さ、そんなことも感じました。自分は自分のダメさを本当に実感している。そんな自分が幸せを求めるんですから、相当に工夫しないといけない。工夫して色んなことをやるわけじゃないですよ?それは、強者の理論、センス抜群の人間の理論です。

能力不足の人間が、人並みに幸せになりたいんだったら、徹底して引き算。やることを絞る。金、時間、労力、精神力、限られた少ない資源を投下するポイントを徹底的に絞る工夫。考えるポイント、行動すべきポイント、問題が発生するポイントを徹底的に少なくしていく。

限りなく少なくなったポイントに、持てる全ての力を徹底的に集中する。その部分で他に負けない、他に真似できないものを作り上げていく。それしかないんだと、Dさんの話を聞いていて改めて思いました。

私は自分の幸せに近づくための犠牲ならいくらでも払います。でも、幸せから遠ざかるような犠牲は一切払うつもりはありません。それは相手が神様であっても同じ。相手が神様であっても、それを変えるつもりは毛頭ないと。改めてそんなことを考えた、本日の対談でありました。

Mr.MMr.M

Dさん、ありがとうございましたッ!


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