Mr.MMr.M

今回は私の会社員時代のことについて覚えていることを書きたいと。

ダメなヒトダメなヒト

よいよい、そういうのは。どうせ武勇伝でしょ~?いいんだよ、そんなの。他人はそういうの興味ないから。

私は新卒採用から二年間で独立してしまいましたが、もしかしたら私と同年代の人たちは今この年齢(30代中盤)になってから独立を真剣に考えてるかもしれませんね。

家族が出来たのに休みが取れないとか、このままじゃ給料頭打ちだとか…たぶん。私と同期入社で会社に入った人たちは今頃教室長とかやってる人が多いと思います。(残っている人がどれだけいるかは微妙ですが…)たまに「アイツ教室長で頑張ってたとしたらハイパー激務だろうなぁ…」とか頼まれてもいない心配してみたり…

ダメなヒトダメなヒト

うん、そうね。オッサンもなんだかんだで大手学習塾で15年くらい勤めたからねぇ~。こう見えても教室長までやってたんだぜぃ。まあ色々あってね、独立したわけだけどさ。…え?「色々ってなんだよ?」って。そうねぇ~、う~ん、まあ色々は色々だな。若者には分らんだろうな~。

東証二部上場企業に新卒採用

就職氷河期の終わりの終わり、2005年に私は大学を卒業しました。当時、就職氷河期の名残がまだ少~しだけ残っていて、大学の同級生たちの中には就職活動で苦戦していた奴もチラホラ。まだまだブラック企業なんて言葉は広まってなかったと思いますが、「受かるんだったらどこでもいい。」何て奴も結構いました。(たいして名前のある大学じゃなかったので…)

そんな中、私は学習塾業界一本勝負。学習塾のアルバイトをしてたので「あ、この仕事結構いいじゃん。早く自分の塾を作ろう。」と当時から考えていました。で、どうせ塾の勉強するなら大手がいい、そして集団指導があるところがいい、自宅の近くに教室があるところがいい、という3点で「〇〇ゼミナール(現在教室数400以上)」「〇〇〇アカデミー(現在教室数150以上)」「地元大手①(たぶん20教室くらい)」「地元大手②(たぶん20教室くらい)」の4社に応募。

ダメなヒトダメなヒト

キミ舐めてんの?4社しか応募しないって。

ゆくゆく独立するんだから、この4社でダメならたぶん自分は学習塾に向いてないと。この4社でダメなら業界変えるつもり(もっと言うと自分の将来の計画自体変えるつもり)で選考に進みました。

1社は説明会の途中でちょっと宗教っぽかったんで退室。説明会で話す人が異様に熱くて、なんと説明会の途中で感動のあまり泣く奴が表れるという…。私が入りたいのは会社であって新興宗教ではなかったんですよね。

残り3つはそれぞれ2次選考以上進み、1社は模擬授業で敗退、結構ショックでしたね。模擬授業の最中から「こいつ下手くそだな」って顔、面接官が露骨にしてましたから…。模擬授業終わってから「今日の授業を自己採点すると何点ですか?」ってニヤけた顔で言われ、もう考えるのも面倒くさいんで「100点です。」って言ったら、「えっ、100点ですか!?」って…。こいつもう終わってる感満載の笑顔をされましたね。今でもこの会社の教室前を通るときは「えっ、100点ですか!?」って言葉が頭によぎります。

もう1社は最終面接で訳の分からない圧迫を受け頭に来たので、面接後のアンケート用紙に「辞退します。」とデカデカと書いてやりました。「他に選考が進んでいる会社があったら、目の前の電話で今すぐ辞退の連絡を入れてください。そうしたら今内定を出します。」という超強引な圧迫提案。いやいやいや、ポツダム宣言じゃないんだから無条件降伏はできないでしょう。

結局、残った1社が第1志望でそこに決まるという幸運に恵まれた私。今の売り手市場じゃ当たり前かもしれませんが、当時の状況で4戦1勝はなかなかいい成績だったと思います。

今の立場になると、学生に就職活動のアドバイスとか求められることもあるんですが、御覧の通り私は4社しか(まともに選考進めたのは3社しか)ないんで何にもアドバイスできないんですよね。大学の就活セミナーみたいなのも出なかったですし、就職本みたいなのも買いませんでしたし…

早く塾持ちたいから一番勉強できる御社でぜひ働かせてくれ!!って気持ちだけで押し切った感はありますね。(さすがに実際そうは言ってませんよ。すぐ辞めるつもりの奴をとる企業なんてないですからね。そのくらいのことはさすがに当時の私でも分かってました。)まあ、訳の分からない迫力というか攻めの気持ちがうまい具合に伝わったんでしょうね。「おお、こいつやる気だけはあるな。」みたいに。(そのやる気も、その「会社で働きたい」というよりは、「早く独立できるくらいの一人前になりたい」というものでしたけど。)

採用が決まってからすぐにインターン研修に申込。インターンの配属先が部内でも屈指の売り上げを誇る教室。まだバイト身分ながら、結構働きました。週5、6は当たり前って感じでしたね。教室長のHさんはかなり厳しい人でしたが、メチャクチャ勉強させてもらいました。集団授業は素人の私だったんですが、この半年のインターンでかなり鍛えてもらいましたし、面談とか保護者会とかも経験させてもらいました。

先輩バイトの人たちは結構この室長を恐れていたんですが、私は常に質問攻めをしていたように思います。よく「うるせぇな、後にしてくれよぉ。」なんて言われてましたからね。でも結構気に入ってもらって、新卒一年目で悩んでいた時に相談に何回か乗ってもらいました。(正式配属はインターン先のこの教室ではなかったんですね。)

「究極、お前が一人いなくなっても会社は困らないし、世の中はもっと困らない。だからお前が一つ失敗したくらいで困る奴なんてほとんどいない。ガンガン勝負しろ。」的なことをベランダの喫煙所で言われたのは今でも覚えています。(私は煙草を吸わないんですが、いつも「おい、ベランダ会議行くぞ。」って付き合わされていたんですよね…今だったらパワハラかなぁ?まあ私も好んでついて行ってましたけど、コーヒーおごってもらえるんで。)

ダメなヒトダメなヒト

ベランダ会議ねぇ~、大事だよね。俺もね、よくやってるよベランダ会議。出席者一人だけどな、ガハハハハハハ!

配属先は微妙に田舎の古い教室

インターンが終わり2カ月の新卒研修が終わると教室に正式配属となりました。

正式配属の話の前に2カ月の新卒研修について。さすがに上場企業だけあって研修はなかなか大掛かりでしたね。2か月間は月、火、水の週3日は幕張の研修施設に行ってました。社員研修のコンサルタントがいろいろやってくれたんですよね。元ANAのキャビンアテンダントのマナー研修とかもありましたし。「ああ、やっぱ大手はすげぇ~な。」って感じでしたよね。

でもこの2カ月の研修期間は、土日休みが確保されていて定時上がりな訳です。さらに研修も大学生のノリの延長みたいな感じで大変ライト。木、金が自分が配属される部内の教室巡りになるんですけど、やっぱり現場は過酷ですよね。新卒の浮かれた奴らが来ても歓迎されるなんてことはあまりなかったです。(可愛い女の子は歓迎されてましたけどね。)

私はこの研修の2カ月間は、インターンの時よりメチャクチャぬるかったんで「このままでは精神が腑抜けて教室配属直後にやられるぞ!」と怖くなって、毎週土曜日にはインターン先の教室に雑用をやりに忍び込んでいました。(教室長のHさんには「偉い人が来たら隠れろよ。俺の立場がヤバくなるからな。」と厳命されましたが、相変わらずベランダ会議には誘ってもらいました。)

さて、正式配属です。インターン先の教室は急行も特急も止まる駅前が結構栄えていたところだったんですが、正式配属先は結構寂しい感じでした。まず駅が古い。埼玉県なのに北国の錆びれた雰囲気が漂う駅構内。特急は当たり前ですが急行も止まらない。終電で帰るとホームに自分一人っていうときも結構ありました。

で、配属された教室もまた古い。こっちは駅構内よりもひどかった。3階建ての雑居ビル的な感じでしたけど、2階なのに雨漏りをするという…。誰も借り手のいない無人の3階フロアはどうなってんだ?という話です。生徒たちは当たり前のように3階はお化けが出るって噂してましたね。

外廊下の電気が切れたときにバイトの一人が「心霊現象だ!」とパニクッたことがありましたけど、普通に電灯が切れていただけという…。間抜けな女性事務の人が階段から落ちて怪我したことがあって「やっぱり呪縛霊が…」という話が出たこともありましたけど、普通にその人が間抜けだったという…。そんな思い出もあります。

そう言えば、我々の教室がある2階フロアのトイレが詰まったこともありましたね。詰まったまま使い続けていたら、汚水が下の歯医者にもれるという悲劇。当然苦情が来ましたけど、教室長のKさんが知らぬ存ぜぬを通していました。結局、3階の誰も使ってないフロアのトイレを生徒にもスタッフにも使わせるという苦肉の策。いやぁ小学生の生徒たちは怖がりましたよね。トイレが怖いから塾を辞めたい、なんてことも普通に言われました。今でも覚えてますけど大人の男の私でも夜は怖かったですから。それを小学生の女子に課すなんて…、なかなか大手塾もやりますね。(さすがに今は新しい建物に移転したらしいです。)

失敗ばかりの日々

クソ生意気な新卒だったので、最初は古株バイト連中とのバトルです。インターン先のH室長の教室とは比べ物にならないくらいぬるい教室だったので、「お前らがやってるの仕事じゃねぇ!!」と最初からバイト連中に粋がって鉄槌をくらわしていった訳です。

当然反発です、それはもう江戸時代の村八分です。生徒が帰ってからバイトが報告書とか採点とかするじゃないですか。もう、私がいる部屋ではしないですよね。古株連中が若いのも引き連れて、こっちをチラチラ見ながら向こうの部屋で何かささやいている訳ですよ。しかもちょっとだけ聞こえるように…。

私は性格が至極単純にできているもので、ムカついたらムカつくと面と向かって言うんですよ。「何か言いたいことあったら直接言え!」って。そしたら古株の女一人が「M先生がやろうとしてることは見当違いじゃないですか?うちの教室はそんな風にやってません。」とか言うわけです。こう書いてるうちに当時のことが思い出されてだんだんムカムカしてくるんですけど、そいつは大学院生だったもんで自分より年上だったんですよね。もうね、ブチ切れですよ。「お前の教室じゃねぇ!!」って。向こうでコソコソやってた連中が飛び上がるくらい叫んじゃいましたよね。

結局、その女性含めて4人が一気に辞めるという事態になり、穏やかな教室長のKさんが「M君、もう少し言い方とか考えようか…」と。ドラマみたいにそこから逆転劇が始まればいいんですけど、古株になついていた生徒も辞めるし、個別授業の穴は空きまくるし(私は個別授業の責任者だったんで、結果自分の首を絞めに絞めたわけです。)散々でしたね。

スタッフだけでなく、お客様にも横柄な態度がしばしば表れ、お客様のクレーム電話対応で「うんうんうん、なるほどぉ。」みたいに話していたら「アンタ一体何様のつもりなの!!若造のくせして!!」と…。後日、教室長のKさんが家庭訪問で謝りに行ってくれて助けられましたが、その生徒は私の対応が原因で退塾していきました。

教室に届いた駿台模試の受験票をゴミだと思って捨てるし、怒りに任せてゴミ箱を破壊するし、勝手にチラシ作って深夜に管理人つきのマンションにポスティングして注意の電話が来るし、ずいぶんKさんには迷惑をかけたと思います…。

「台風」「鋼の心」と呼ばれる

散々室長のKさんには迷惑をかけ、他の教室の室長からもいろいろ指摘される中、それでも一向にやり方を変えない私は「台風みたいな奴」と言われるようになりました。近づくといろいろ荒らされるみたいなことだと思うんですけど…。何人かの教室長には結構マジで嫌がられてましたね。社員旅行で結構酔った先輩に「お前のことは本当に苦手!」と言われたこともありますし…

ダメなヒトダメなヒト

分かる、分かる。俺も苦手。

何を言われてもへこたれない私を、当時の部長は「鋼の心を持つ男」と言ってくれました。これは嬉しかったですね。自分でも結構売りにしている部分だったので。(もちろん、本当は結構頻繁に落ち込んでいましたけど。私の場合それが持続しないんですよね、いい意味でも悪い意味でも。だからへこたれないように見えるのかもしれませんけど…)

いろんな人に迷惑をかけましたけど、何だかんだで教室の生徒数は私の在籍2年間で順調に伸びていきました。同エリアの教室の中では唯一2年間生徒数、売上、利益ともに伸びた教室でした。バイトに関しても最初の一時期は古株が大量に辞めましたけど、残った主力メンバーは私の退職後も何年か教室を支えてくれたそうです。(そのうちの一人が数年後、私の塾に移籍してくれることになります。)

初めての涙

私は小学校、中学校、高校、大学と卒業式で泣いたことは一度もありません。薄情な奴だと思われるかもしれませんが、小学校以外の卒業式は「ああやっと終わった。よかった、よかった。」とさえ思っていました。(さすがに小学生の頃はそんなにひねくれてなかったので、結構寂しかったように思います。)

それが二年間しか勤めていない会社の退職時には不覚にも泣いてしまいました。人前で、こういう状況でまさか自分が泣くとは夢にも思わなかったんですが…(自分でもびっくりしましたね。自分ってこういう側面のある人間だったのかと。)

一緒に働いてくれたバイトの何人かも泣いてくれましたし、なんと元教室長のKさんも泣いてくれました。(実はKさんは2年目は降格して室長ではなくなっていたのです…何かすいません!)人間、最後の最後で自分の価値が分かると言いますが、自分勝手に突き進んだ2年間を最後に少しだけ誇らしく思えましたね。

よく言いますよね。独立するなら一番いい時に辞めろって。周りから「残ってほしい」と請われるうちに辞めろって。今思うともう少し経験積んでからでも…なんて思うときがありますけど、やっぱりここが辞め時だったのかもしれません。

会社員時代を思い出すとき、私は最高の2年間を過ごさせてもらったと感謝しています。もちろん労働環境は他の学習塾の例にもれずブラックだったと思います。他の同期はつらそうにしていましたし。でも初めから自分の塾を構えるつもりだった私にとっては、むしろ有難い環境でした。短期間でいろいろ学べるわけですから。(決してブラックを推奨してるわけじゃないですよ!今の自分の塾は私も休むし、スタッフも休めるときは休んでもらってますし。)

今も2年に一度くらい配属先の教室があった場所を訪れます。今はもうあの古い建物はないんですが。若い自分ががむしゃらにそこで働いていたことを思い出すと、元気をもらえます。今はあの時みたいに何も考えずに動きまくることはできないですけど、たまにはあの時の覚悟とか勇気を思い出したいと…。